長谷川の教育論[14]

● 「褒める」と「叱る」は全く同じであることに気付いていない大人が多い。なぜなら、「叱る」と「怒る」を混同しているからである。「叱る」と「怒る」は真逆の概念を持つ。
 まず、「褒める」と「叱る」が同じであることを説明しよう。例えば学校の教師が「はい、説明するから鉛筆を置いて黒板を見て」と指示したとする。たいていの場合、数人はまだ鉛筆で何かを書いている。その時、最もいけないのは、(そうした教師は多いのだが)そのまま説明を始めてしまうことだ。すると子供たちは、「先生が鉛筆を置けと言っても置かなくていい」と考える。これが進行すると「先生の指示は守らなくてもいい」となり、授業崩壊を起こす。最初に徹底しなければならない。その方法として、「はい、○○君、鉛筆置いて」と指摘する…これが「叱る」である。そして、全員が鉛筆を置いてから説明を始める。別の方法もある。まだ鉛筆を手放さない生徒がいても、「いやあ、このクラスは素晴らしい。私が1回指示しただけで、全員が一斉に鉛筆を置いた。こんなクラスは初めてだ」と言い放つ…これが「褒める」である。鉛筆を持っていた生徒も、慌てて手放すことだろう。つまり、結果は同じである。
 「褒める」と「叱る」は共に、相手の態度変容を求める行為だ。どちらも相手に「より良くなってほしい」という思いから発生し、目的と結果を同じくする。
 それに対して「怒る」は感情の産物である。相手の心を痛めつけ、傷つける行為だ。「叱る」が教育の範疇(はんちゅう)ならば、「怒る」はその対極にある。冒頭で「真逆」と言ったのは、そういう意味である。
 生徒が遅刻した。宿題を忘れた。指示を守らない…その時、私は彼を叱る。怒ったりはしない。保護者もそうであってほしい。ところが、もし彼が人としてやってはいけないこと…例えば友達を馬鹿にする、身障者を揶揄する等をした場合、私は烈火のごとく怒るであろう。
 大阪で「ナイフで友達を脅した生徒」からナイフを取り上げ頭を叩いた校長先生が、保護者からの非難を受け辞職した。当の校長は辞職覚悟の上での「怒り」であろう。それを理解できない保護者が一部にいたことは残念だが、願わくは頭を叩かれた生徒が校長先生の覚悟を知り、改心してほしいものだ。
 「怒る」とはそれくらい究極の行為だ。安売りだけはすまいと心に誓おう。

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