長谷川の教育論[15]

● 「なぜ勉強しなければいけないの?」という子供の素朴な疑問に答えることは、我々教育者だけではなく、大人の永遠の課題である。唯一の正解などない。どんな答えも正解であるが、どんな答えも不正解になり得る。例え論理的に優れた答えであったとしても、子供の胸を打たず、納得を得られなかったとしたら…それは全て不正解である。例えそれが非論理的であり、矛盾した解答だったとしても、そのことで子供が前向きに勉強するようになれば…それは正解と言うべきである。

 ただ、勉強の本質は正しく伝えたい。勉強とは「強いて勉めること」だ。平たく言えば「無理やり頑張ること」である。人の能力は全て、ある程度の負荷を掛けなければ伸びないようになっている。それが走力でも腕力でも、歌唱力でもそうだ。当然、学力もその法則から逃れることができない。学力を向上させるために「強いて勉める」=「勉強」が必要なのである。すると、ここから次の結論が得られる…「勉強を好きになってはいけない」…これだ。

 我々大人は時として子どもに対して「勉強を好きになってほしい」と望む。いつまでも勉強を続ける子供を真面目で優秀な子と評価しがちだ。しかし、ここに落とし穴がある。仕事中毒(ワークホリック)という言葉があるように、勉強中毒も存在する。勉強していなければ不安になってしまうという神経症の一種だ。好きなゲームを何時間でもする。好きなラーメンばかりを三食食べる。好きなジョギングを一日中している…これらが全て不健全なように、好きなことを続けるのは効果的どころか害が大きいのだ。勉強も、「嫌いだが必要だから我慢して1日2時間だけ頑張ること」が重要だ。文字通り、「強いて勉める」のが健全であり、最も効果的なのだ。

 草野球は楽しい。しかし、プロのレベルになれば苦しいことばかりだ。練習が好きだと言うプロ野球選手は一人もいない。それでも彼らは必要だから毎日の練習を怠らない。だから技量は向上する。どうやら「我慢」は、人の能力を向上させる最大の要素なのかもしれない。

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