長谷川の教育論[16]

● 教育に正解はない。それが真実だ。明確な不正解はある。巷で見聞されるネグレクト、虐待は完全不正解である。(これらは教育以前の問題かもしれないが)

 なぜ、教育に正解がないのか。それは答え合せが出来ないからだ。あるいは出来たとしても、それは10年後、20年後のことだからだ。子どもが成長し、大人になり、社会で活躍するようになってはじめて応え合わせが出来る。今の教育が正しいかどうかは、誰も今は断言できない。ただ、問題はココからである。

 今の教育が正しいかどうかが断言できないからこそ、我々教育者には信念と情熱が必要なのだ。

 私は信念と情熱のない者は教育界にいるべきではないと考えている。誤解を恐れずに言えば、「師」の情熱は指導法などというちっぽけなテクニックを凌駕する。歴史を見ても、例えば松下村塾を開いた吉田松陰。かの塾からは桂小五郎(後の木戸孝允)、高杉晋作、久坂元瑞、山県有朋、伊藤博文等々、幕末・明治の偉人が多数輩出されたが、その源は松蔭が残した辞世の句「身はたとひ 武蔵野の野辺に 朽ちぬとも 留め置かまし 大和魂」だった。彼の情熱、日本国を思う気持ちが弟子達に伝播し、日本の近代を切り拓いた。

 同じことが親子の間にも存在する。親であっても1人の人間である。間違いも犯すし、失敗もする。子どもの教育に対して「これでいいのだけうか」と悩むこともあるだろう。ましてや反抗期を迎えた我が子と衝突し、落ち込むこともあるだろう。しかし、子どもに対する愛情と信念があれば大丈夫だ。「今」は理解されなくても、必ずいつか分かってもらえる。それは多分、子ども自らが親になった時に…。

 塾人はテスト結果や志望校合格という日々の成果を求められる。しかし親はもっと大きな、もっと崇高な使命を果たそうとしている存在なのだ。それを支えるのは信念と情熱であることを私は確信している。

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