長谷川の教育論[4]

● 人は誰でも成長する。しかし、素質の限界という問題は厳然と存在する。我々日本人は、未だに100m10秒の壁を突破することができない。日本のアスリートがカール・ルイスやウサイン・ボルトほど努力をしていないとは思わない。やはり、素質の差があるのだ。そこから目を覆ってしまうと歪んだ公平主義に陥る。しかし、重要なことはその先である。素質の劣る者が努力をするのが無駄かどうかの問題だ。
 例えば、身長が2m80㎝のバスケットボール選手がいたとしよう。彼にボールが渡れば、対戦相手は成す術がない。たいした練習をしなくても、チームは連戦連勝だ。しかし、そんな試合に感動し、何度も観戦したいと思うだろうか。
 背が高いというのも素質である。しかし、素質だけで人を感動させ、行動に移させることはできない。確かにカール・ルイスは類い稀な素質を持って生まれた。では、世界中の人は彼の素質に感動して賞賛を与えたのだろうか。違う、絶対に違う。
 我々は10秒にも満たない彼の走りの中に見ているのだ。我々が決して真似をすることができない努力の日々を。彼の走る姿の向こうに、その努力が透けて見えるからこそ感動するのだ。我々が時としてプロ野球よりも高校野球に感動するのも同じ理由だ。高校野球の方が、その向こう側が見えやすいのだ。
 例えば、我が娘が「私、将来はアイドル歌手になるの」と言ったとしよう。ほとんどの親は「そんな夢みたいなこと言ってないで、ちゃんと勉強しなさい」と言うのがオチだろう。しかし、娘がアイドル歌手になるために…月曜と木曜はボイス・レッスン、火曜と金曜はダンス、水曜と土曜は演技の稽古、毎日10km走って土手で発声練習をしていることを知ればどうだろう。「頑張っているな。応援しているよ」となるのではないだろうか。
 私は京進スクールワン吉野町教室に通う全ての生徒を応援する。今の成績などは関係ない。少しでも成長しようと努力する姿は、私に掛け替えのない感動を与えてくれるからだ。私は、「勉強しなくても80点取れるから…」と怠惰に走る生徒も、「どうせ頑張っても50点しか取れないから…」と諦める生徒も認めない。努力を続ける者は、素質という「ちっぽけな神の領域」を超えることができると信じている。

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