長谷川の教育論[8]

● いったい、「ゆとり教育」とは何だったのだろう。学校現場で何か問題が起こるたびに、「詰め込み教育の弊害」「偏差値教育の弊害」が指摘され、学習内容は削減されてきた。近年、少し改善されたとは言え、70年代ピーク時のほぼ半分にまで中学生の学習内容は削減されている。それでも、諸問題の解決に一定の効果があったのならば分かるが、学校現場の凋落はとどまることをやめない。不登校、自殺、学級崩壊、モンスターペアレント、いじめ、体罰、教師の精神疾患…何か「ゆとり教育」を進めれば進めるほど問題が深刻化しているようにすら思えてならない。
 私は、学校教育の最大の失態は、子どもの社会から「健全な競争」を排除してしまったことだと考える。今は、どの小学校でも運動会の「かけっこ」は走力の近い子供同士で組を作る。大きな差が見えないようにする配慮らしい。中には手をつないでゴールさせる学校もある。中学校では定期試験の順位を付けることを止めたばかりか、試験そのものを廃止した中学校すら登場した。なぜ、こんなことになってしまったのか-全ては「差別」や「いじめ」を助長するからだと言う。この論は正しいのだろうか?
 社会の発展、進歩のためには健全な競争が不可欠であることは歴史が証明している。それは、一人の人間の成長を考えても同じである。競争のないところに成長はない。もともと「競い合うこと」は人間が持っている本能の一つだ。もちろん、それぞれが本能のままに行動したのでは社会秩序は成り立たない。それを理性で抑制することが必要であり、それを教え、身に付けさせるのが教育の根源的な役割だ。学校現場は、その役割を放棄している。そして、競い合いを否定することで無気力で努力をしない人間を大量生産している。かつて、子どもの数が多かった時代には健全な競争が溢れていた。ドッヂボール、三角ベースボール等の遊び…その中で子ども達は人間関係を自然と学び、自分の個性を見出してきた。ところが少子化が進んだ現代ではそうはいかない。遊びと言えば簡単にリセットできるゲーム(ひとり遊び)が主流だ。当然、忍耐力がなく、すぐに人を傷つけ、すぐに傷付く…ひ弱な人間が多くなる。私には、それこそが「いじめ」「自殺」の原因と思えてならない。
 塾は、そんな子ども達の「健全な競争の場」だ。誰もが活き活きと、そして堂々と競い合い、勝者を称え敗者の健闘にも拍手する…少なくとも京進スクールワン吉野町教室は、そんな健全な塾でありたい。

戻る




問い合わせ3

電話番号 0120-37-5933
FAX 045 - 330 - 6074
受付時間 10:00~21:00/日・祝除く