長谷川の教育論[9]

● 以前もお話したことだが、「なぜ、勉強しなければならないのか」という子供の素朴な疑問に対して、「あなたのためよ」「あなたが将来、幸せに生きるためよ」は失格である。そう聞かされた子どもは「それならば、自分が幸せになりたいと思わなければ勉強しなくてもいいんだ」と考える。大人になると「自分が幸せになりたいと思わなければ働かなくてもいいんだ」と考える。

 教育は2つの視点から見なければならない。「人づくりは国づくり」と言われるように、1つは教育を施す側の視点である。将来の日本をどんな国にしたいのかという我々大人の思いである。もう1つは言うまでもなく教育を受ける側、つまり子どもの視点である。上記の回答は子どもの視点のみで語られているため不完全なのだ。だから子どもに対しても説得力を持たない。

 前者の視点から教育(勉強)の目的を語れば、それは「世のため人のために資する人間になるため」である。そして、ここからが大切なのだが、世のため人のために生きる者は、それだけで幸せな人生を送ることができる。つまり、世のため人のために生きることと自分が幸せに生きることは、二律背反ではなく表裏一体のものである。本音と建前とは、そうした相関関係の中ではじめて意味を成す。

 私は中学生に「こんなこと覚えて何の役に立つの?」と聞かれれば、「まあ、クイズ番組に出る時に役立つくらいで、ほとんど役に立つことはない」と答える。当たり前である。「中学生でも理解できる基礎的知識」が世のため人のため、ましてや自分の人生のために役立つはずがない。本当に必要な知識や技術は、その基礎知識のずっと先にある。しかし、イチローがヒット数のメジャー記録を打ち立てた時に言ったように、「大きな偉業も、小さなことの積み重ねでしかない」のだ。「今」を疎かにしている者に「未来」はない。

 子ども目線で「勉強する理由」を語るとすれば、「学力を向上させること」である。学力は、文字通りパワーの一種である。そして、文科省が力説する「生きる力」の本質である。
パワーをチャージしろ!。

戻る




問い合わせ3

電話番号 0120-37-5933
FAX 045 - 330 - 6074
受付時間 10:00~21:00/日・祝除く